【 佳 作 】

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
チャンスを与える人になりたい
香川県 工藤 護 56歳

国語辞典で「働く」とはまさに仕事をすること。文字通りには人が動くこと、つまり活動を指すとある。

中学で長年教鞭を取っていると、勉強嫌いな生徒の中に、「早く働きたい」と切望する生徒がいる。だが、その目的は小遣い目当てのアルバイトで、2年生の職場体験で味わうちょっと社会人気分と何ら変わらない。職場にお客さん扱いで数日間従事し、労いにジュースやお菓子を提供されて満足する。それでも「働く」意義やいきがいを考える機会になるのならあながち無駄とは言えない。

だが普段体を動かして活動する未来の社会人は勉強も働くことの一部だと話してもなかなか理解しない。この勉強とは社会人としての心得や職場でのマナーなど、「働く」上での必要不可欠な学びだと言うのにである。

しかし私も成人するまでは、いや結婚して家庭を持つまではなぜ働くのか十分理解していたとは言えない。

私に取って働くとは自活することだった。精一杯働き、代価として給料をもらい、生活必需品を購入する。初めての給料で食糧を購入したり外食したり、背伸びして貯蓄に振り向ける費用を両親の買物に当てたりした喜びは想像以上に快感だった。真面目に働いた結果が目に見えて皆を安心させたり喜ばせたりできるのも嬉しかった。

だが今は違う。旧来の雇用制度が壊れ、一生会社が社員の面倒を見ない。経験を重ねれば給与が右肩上がりになるのでなく会社への貢献度、つまり身を粉にしてどれほど頑張ったかが問われる。しかも会社は給料を安く抑えられる派遣という不安定な労働者を雇いたがる。これではかつて日本の美徳とされた愛社精神も叩き上げの職人も育つはずがない。

私にとって教員と言う仕事は自分の夢ではなかったし、教育実習の時の恩師の言葉を律義に信じひたすら勤めてきたにすぎない。でも将来の夢が漠然としていた高校の時、部屋で聞いた深夜ラジオの言葉に私がもの凄い影響を受けたことは否めない。

それは第一次南極越冬隊の隊長で、京都大学教授の西堀栄三郎氏が座談会の席上、「若者に一番あげたいのはチャンスである」とおっしゃった言葉だった。何でも西堀氏の経験ではお金や名誉は努力次第で手に入るが、チャンス(=機会)は誰かに与えて貰わなければ一生手に入らない。そのチャンスを見事生かす人間こそ本当に素晴らしいのであり、そのチャンスを与える人に自分はなりたいと。

ちょうど6人家族が小さなうどん屋の収入によりかかり、文字通りその日暮らしの生活の中で、私の心の中に何か熱いものがどっと流れ込むような気持ちがした。そうだ。チャンスは平等に誰にも与えられるのだから、チャンスを与える仕事に就きたいと。

今思えば私も恩師からチャンスを貰ったのかもしれない。そして今度は自分から生徒達に毎年、「君たちは未来の社会人だから、国を背負って立つことを期待してる」と柔らかくチャンスのメッセージを送り続けていたのである。

現在26歳の長男は5年前のリーマンショック後、リクエストした全会社に採用を断られ自信喪失し、一時自暴自棄にもなった。今は塾の講師として未来の社会人にしっかりした学力をつけようと奮闘している。決して給料は多くない。実に根気のいる仕事である。しかし安易に投げ出さず、自分の天職のように生徒に向き合っているその姿は、まだ自分の将来を模索しながらも、少しずつ充実した何かを得ているような期待が持てる。

若者たちよ。あせるな。君の周りにはチャンスを与えるべく見守っている人が大勢いるのだから。そしてあきらめるな。君の周りにはいくつもチャンスが転がっているのだから。最後にもっと弱音を吐け。素の君を見せろ。弱さを見せる者にこそ、人は自分をさらけ出し、チャンスを与えようとするのである。

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