【 佳 作 】

【テーマ:○○年後の自分に宛てた手紙】
50年後の自分に宛てた手紙
福島県 ふうま じゅん 51歳

「千里行って、千里帰る」

虎年の私は、50歳を過ぎた今、50年後の私に、注文する。

100歳を、元気で働いていて下さい。

50歳を過ぎて、今やっと、生きる意味を掴んだから。今後の50年は、その夢を叶え、実現する50年間だったと、笑っていたい。

会津磐梯山の懐で、広々とした田畑に囲まれ、伸び伸び育った私は、働く本質を農家の手伝いの中で学んだ。

田植え、稲刈り、土づくり、殆どが手作業だった当事。『結(ゆ)い』が、農村の基盤だった。村中相互に、大きな農作業や屋根の葺き替え、葬式や結婚式まで、全て手づくりで、互いの働きで、支え合った。

陽が暮れるまで、「必ずこの田んぼは、やり終える」全員が、必死に働いた。

雨が降れば村休み。

自然に合わせ、自然から恵みを得る。大きな自然に、とても一人では立ち向かえないから。皆で力を合わせる。お互い様だから。どこの家に行っても、精一杯やる。

段取りの良い家は褒められ、働き惜しみは見破られる。作業が終われば、飲めや唄えの大宴会。

小さな社会は、一見、閉じているようでも、力を合わせて一所懸命働く者には、感謝と賞賛がもたらされた。人間関係こそが、宝物だった。

子供にも、年寄にも、出来る仕事が与えられまかされた。

3時の休みを田んぼまで、冷たい麦茶やパン、お菓子を運ぶのは、子供の役目だった。大きなやかんを姉と2人で運ぶ。妹はお菓子のかご。重いやかんは冷たいが、貴重な氷が融けない様に気を使って運ぶ。子供の足では父母の働く田んぼは遠かったが、喜ぶ親の顔を見ると報われた。

いつしか、一緒に汗を流す様になると、休みのパンや、果物の美味しいこと。やかんのふたで飲む麦茶。小川に冷やした西瓜や、なし、りんご。

渡る風の爽やかさ。精一杯やった充実感。

青空の下の、みんなの笑い顔。

成人して、私が就いた仕事は違っても、働く姿勢はその時のまま。

「働き方」、それが私自身の表現だった。

スーパーのレジ、トイレの営業、インストラクター、洗濯屋さん。4人の子育て中に、履歴書に書ききれない程、色んな仕事をした。学び、出逢い、体験し、素晴らしい友達も得た。

しかし、人生の折り返し地点が近づくにつれ、自分の精一杯だけが、仕事の成果や、私の満足に必ずしも結び付かない理由を知った。様々に仕事を変えていっても、自分の中の、あるパターンが頑固に表われて、いつも満足出来ない事に気付いた。

私が本当に変えたかったのは、他人の評価に一喜一憂する私。人に好かれたくて、いつまでも自信が持てない私。

人の為に精一杯やれば、必ず返して貰えるはず。返さない方が悪い。そんな勝手な思い込みから、自由になること。

その思い込みが、私を不自由にしていると気付くまで、50年。今、やっと、それが変えられると知った。

千里の帰り路は、自分がなりたい自分になる。

10年の在学期限が過ぎ、再入学して続けている放送大学。大学院を卒業し、めざす臨床心理士になる。19歳の時から思いつづけている夢。きっと、百歳になっても、喜んで働いているはず。

50年後の私は、千里行って千里帰り、この古里で子供の頃からの夢を果たしているだろう。

愛する家族と、友達と、近所の人々と、笑い合い支え合って、元気にその日を生きているだろう。

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