【 佳 作 】

【テーマ:私の背中を押してくれあのた一言】
突破や、人生は!
鳥取県 頼富 雅博 51歳

景気停滞が長期化し、この日本では格差社会、言葉が悲しいことに定着してしまった。私自身は勝ち組でも高給取りでもないが、「正規」のポジションで長く働いていきた。但し、つい2年前までの話である。

職場でのパワハラに抗い切れず、16年勤めた職場に辞表を出した。気分的には楽になった。しかし、引き換えに「無職」の恐怖が襲ってきた。年も50。おまけに少子化の中の私立教員の職だ。求職活動は始めたものの、送った履歴書は書類選考の時点で悉く不採用通知に化けて送り返されてきた。

しかし、中三、高二の子供がいる。父としてどんなことでもして進学させてやりたい。その思いで履歴書の項目を暗唱できるほど書き、送った。そして、漸く大阪の私立高校の常勤講師の口が見つかった。我が家は群馬。大阪はあまりに遠い。しかし、贅沢など言えない。妻と相談の上、単身赴任の形で働くことに決めた。そのことを子らに告げたのは、下の長男の高校合格の夜だった。余りの突然に我が子たちはぽかんとしていた。生まれて初めての単身赴任。そして、家族一緒の日々との訣別。その年の春はいつもより薄寒く、ほろ苦かった。

そうして始めた大阪での生活。職分は常勤講師。正規の教諭と同じ仕事をこなすが、単年契約。なおかつ、給与は教諭の約半分ほどの低さだった。私自身も給与額を見て覚悟していたとはいえ、ガクッと来た。妻に電話で「ごめんね」と詫びると、「お父さんが27歳の時の給料と一緒だね。」と笑った。その笑ってくれる愛情がわかるだけに切なかった。大都会では住居費や食費は予想以上に高い。それらを支払うと、群馬の家族への送金は雀の涙だ。久々にジレンマという言葉を実感した。

そんな時に出会ったのが同じ職場のI先生だ。私が関東から単身で来ていることを察して、安い食堂へ連れていって下さり、安いスーパーや電車の賢い利用法なども親切に教えて下さる心優しき先輩との邂逅はまさに地獄に仏だった。先輩の顔が神様に見え、その出会いが私にとって大きな分岐点になった。

しかし、いざ現実に戻れば一年毎の契約になる講師の身。雇用継続の保証はどこにもない。来たばかりの大阪で再び求職に動かねばならなかった。そんな私に先輩は「人生、突破や。もがけば、どこかに口はある」と激励してくれた。そうか、突破か。冷静に考えれば現在は苦しい非正規かも知れないが、大学を出てから今まで何度も転職しながらも何とかブランクを空けずに生きてきたじゃないか。そう思うと、心が途端に軽くなった。この先輩の言葉は私にとっての守護神になった。

昨年の履歴書書きでもう何10通でも苦にはならない。むしろ、加筆することができて、愉しみにもなった。もちろん、現実は厳しい。中には電話で年齢を告げた途端にガチャンと切られたり、まるで落とすのが想定だったかのように郵便を出した翌日にそのまま書類が返送されることもあった。しかし、胸には先輩の「突破」がある。何も怖くはない。前進あるのみ。気がつけば、落とされても「ただ縁がなかっただけ」と明るく割り切ることができるようになった。そして、紆余曲折の末に私は地方の小さな学校から採用通知をもらい、この春から再び正規のポジションで働いている。今もあの時の先輩の「突破」がなければ、私はうまくいかぬ求職に自暴自棄になっていたかも知れない。さり気ない一言が私のやる気に火を点け、生きる方向のギアを前向きに変えてくれた。感謝してもし切れない金言だ。

幸い上の娘も無事に都内の大学へ今春進学を果たしてくれた。父親の安月給を気遣ってか、大学入学後すぐに自分で動いて塾の講師の口を見つけ、働きながら学ぶ勤労学生として頑張ってくれている。いつの日にか彼女にもI先生からいただいた「突破」のことを話したいなぁと思っている。

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