【 佳 作 】
私は教職に就いて30年目を迎える。今は教務担当をしながら初任者指導教員も兼務している。そのため、子ども達を直接指導することは少なく、むしろ初任者教員や若年教員の指導が主な任務だ。これらの教員を指導する時に、担任時代のよろこびや苦労がとても役に立っている。
私は、担任時代に多くの子ども達と時には笑い、時には泣きながらすごしてきた。子ども達との日々の記録を、今でも時折読み返しては当時を思い出している。
その一人にAがいる。Aとは今から25年前に彼が小学校3年生の時に出会った。Aは、とても心優しい子どもだった。
ある日、とても感心することがあったので、Aの家に行ったのだった。お母さんは、先生が家に来られたということで、「何か悪いことを学校でしたのでは」と心配されたようだった。
私は、よく何かあると家にちょっと寄らせていただき話をして帰っていた。ほとんど悪いことでは行っていない。たいてい良いことがあった時や、子どもが学校を欠席した時に行っていた。
Aの時も、良いことがあったので家に行ったのだ。お母さんに、そのことを話すと大変うれしがられていた。ただ、あまりにうれしがられるので、「何かわけでもあるのかしら」と不思議に思いながら家に帰ったのだった。
次の日、お母さんから手紙が届いた。
『先生、昨日は、お忙しい中、おいでいただきありがとうございました。先生の“Aが優しい”という言葉を聞いて大変うれしく思いました。それと同時に、私の気持ちも晴れ晴れとなりました。私は、最近疲れていました。おじいさんの看病のうえ、最近、おばあさんも寝込まれて看病が必要になり、両方の看病で疲れていました。そんな中、先生が来られて、Aのことをほめていただき“私がおじいさんやおばあさんを看病している姿をAが見て、人としての生き方や関わり方を自然と勉強しているんだなあ”と思うと、看病が前ほど苦にならなくなりました。むしろ、子どもたちが、“私の姿を見て良い方向に育っている”と思うと、看病をがんばろうという気持ちになりました。もし、先生が来られなかったら、私自身も病気になっていたかもしれません。ありがとうございました。これからも、Aをよろしくお願いします』
と書かれていた。
私は「家に行って良かった」と思った。Aの優しさに私自身が勉強になっているうえに、家に行ったことで自分では分からなかったけれども、「家族の人に勇気を与えたんだなぁ」と思うと、とてもうれしくなってきたのだ。
今でも子ども達との日々の生活が私の財産として生きている。A以外にも多くの子ども達との学校生活が財産として残っている。その財産を今、初任者教員や若年教員に示しながら彼らを育てている。
教育界は、いじめ、体罰、不登校と困難な時代に入っている。しかし、大事なことは、よろこびを持つことだと思う。そのよろこび(仕事から学んだこと)を今後も伝えていくことが私の使命だと思っている。