【 佳 作 】

【テーマ:○○年後の自分に宛てた手紙】
67歳の私へ
和歌山県 じだま 44歳

夢を叶えていますか?
自分の力を生かした仕事が出来る喜びを感じていますか?
看護師として働きながらやっと取ったケアマネの資格。
請われて施設のケアマネになり、忙しいながらも、充実した日々だった。
父がもう長くないと分かったときでさえ辞めようとは思わなかった。
みんなの協力で、父を看取るための時間ももらえた。
これからだったのに、まさか、子どもの不登校で仕事が続けられなくなるとは、 夢にも思わなかった。
子どものために働いていると思っていたのに、自分のためだった事に気づいた。

求職中の友達が言うんだ「私はこんなに仕事がしたくてもどこも雇ってくれないよ」
「何だって、どんな仕事だってやるのに、こんなにやる気があるのに分かってもらえない」
新聞を見ても、あちこちで看護師やケアマネの募集はある。
でも、私は家から出られない。
1人だけ、とりのこされた感じ。

夢があったよね。
ケアマネを何年かやった後、病院に戻って、医療の経験と知識を積み、
ボランティアで始めたがらくた工作の指導や、防災教室、も細々と、でも途切れなく続け、
趣味のピアノを緩和ケア病棟で時々弾いたりしながら、
英語の勉強をして、救急救命士の資格も取って、
65歳で定年退職したら、1〜2年勉強と準備をして、シニア青年海外協力隊員になって、
私を求めてくれるどこかの国で、今までの経験を生かして働こう。

順風満帆に見えた未来が、私の一番大切な者によって崩されてしまった。
毎日、死にたいと泣く息子を抱きしめてやることしか出来ず、
「自分の子さえまともに育てられないのに他の人のケアなんて出来るのか」
そんな声がどこからか聞こえるような気がする。
「発達障害だから、あなたの育て方が悪かったんじゃない」
「障害児は育てられるお母さんを選んで生まれて来るんだよ」
人の慰めも、どこか他人事に聞こえる。
子どもを育てることも大事な仕事なのだろう。
でも、お金のためだけじゃなくて、自分を高めるために働きたい。
それなのに、お母さんは、子どものために仕事を犠牲にするのは当然なの?

仕事を失ってから、同時に失った物ばかり数え続けていた。
友達、家族以外の人との会話、母親ではなく自分でいられる時間、やりがい、規則正しい生活、
そしてプライド。

やっと最近、1年近く過ぎて、得られた物を考えるようになってきたよ。
アレルギーに対応した除去食での献立をいろいろ作ることが出来るようになった。
家が片付き、きれいになった。(息子のアトピーも落ち着いてきた)
勉強する時間がとれるようになった。(おかげでパソコンにさわれるようになった)
趣味をじっくりやっていたら、仕事として依頼が来るようになった。
図書館に行き、本を読む時間を持つことができる。(知らない事っていっぱいあったんだ)
朝、自然に目が覚めて眠たくないという日がある。
ピアノを弾く時間ができ、娘と連弾で発表会に出られる。
子ども達と話をする時間がある。(子ども達はこんなに私と話したかったんだ)
家族で長期旅行に行くことができる。
一日予定のない日、家で過ごせる日がある。

今まで、できなかったことが当たり前だった。
あのまま定年まで働いていたら、これらのことを得ることができないままだったんだ。
選ぶことはできなかったけど、今のこの現実を、
どうせなら良いものと思っていく方がいいのだろう。
仕事は後からきっと取り戻せる。
以前の職場の同僚が言ってくれたじゃない。「昔できていたことは必ずできるようになるよ」
辞めている間どんどん遅れるばかりで、何もできなくなるんじゃないかと心配でたまらなかった私には、希望の言葉だった。
それを信じて、今は、家にいることを、息子のそばにいてやることを受け入れよう。
それでいいよね。

67歳の私に聞いてみたい。「あのときの時間は役に立ちましたか」
ほほえんでくれることを願っています。

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