【 佳 作 】
私は10年ほど前までは高等学校で、ここ数年は大学で非常勤講師として勤務してきた。いずれも自分の意志で非常勤の立場を選んだのではなく、正採用としての勤務が適わなかったのでその立場となったのである。非常勤での勤務は、組織から見れば「お客さん」である。賞与がない・退職金がない・諸手当がない・次年度以降の保証がないという経済的な弱さもさることながら、組織内での所在のなさが何とも自分を心細くさせる。生徒学生からの反応だけが心の支えである。
そのような日々を過ごしている中、先に書いた心細い状況を更に辛く思わせるニュースを目にした。その内容は「非正規労働者が通算5年を超えて勤めると、期間の定めのない雇用契約に転換できるとした労働契約法改正を受け、とある大学が非常勤講師の「雇い止め」を始めた」というものであった。つまり、ある大学に通算で4年間非常勤講師として勤務すると、通算5年になってしまう次年度以降は一切雇用しないというのである。現在、その大学に勤務している非常勤講師たちは、こうした一方的な就業規則の変更は労働基準法違反だとして刑事告訴に踏み切ったという。教育活動は長いスパンで計画を立て学生生徒と向かい合うことで効果が期待できる。しかし、講義に携わる講師が最長でも4年しか勤務できない状況では、学生に対してどのような教育効果が期待できるのであろうか。非常勤講師は立場こそ流動的であるが、次世代の人材を育成するために日々努力しているという点において常勤の教員と変わるところはない。しかし、一方は4年で使い捨てられ、一方は身分が保障される。このような「格差」が少しでも解消されるよう労働契約法が改正されたのであろうが、大学においては逆効果になってしまったようだ。
ところで、非常勤講師を雇用せねばならないような講義状況であるのに、講師を「雇い止め」してしまうと、それまで非常勤講師によって軽減されていた講義の負担は常勤の教員にかかってくる。小規模な大学では常勤の教員にのし掛かる校務分掌の負担は極めて重い。更に非常勤講師を雇わなかった分の担当講義数が増加すれば、過労死の危険性も生じてくる。事実、過労死認定こそされてはいないが、オーバーワークが常勤の教員の健康を害したのではないか、と思われる例を私は数例見てきた。
教育は国家の基礎を築くための行為であり、そこに人的資源や資金を投入するのは健全な国家を維持するために不可欠である。しかし、教育機関が人件費の負担を増加させたくないからと非常勤講師を「雇い止め」し、常勤の教員にだけ負担を強いてしまえば、教育の質の低下は免れないであろう。教育の質の低下は日本の未来を確実に暗くしてしまう。なぜなら、これといった天然資源を持たない日本の武器は、しっかりとした教育に支えられた優れた人材と、その人材たちが生み出す知識や技術だからだ。今、それらを育成してきたシステムを崩すべきではないし、むしろ不景気が続いたこの20年から抜け出し、明るい日本を取り戻すためには、高等教育の充実と優れた人材の育成こそが急務であろう。
また、ある大学では非常勤講師の「雇い止め」をし、別な大学では「雇い止め」をしない、となった場合、教育の質に「格差」が生じることも懸念される。懸命に学ぼうとしている若人が、大学側の都合で「格差」に巻き込まれてしまうのは問題であろう。
非常勤講師の「雇い止め」が撤回されること、更にいえば、大学が改正労働契約法に基づいて一定期間以上勤務している非常勤講師を常勤の教員として迎え入れてくれることを強く希望したい。