【 入 選 】
プラタナスの葉がそよぐ窓の外には、思わず深呼吸をしたくなるような青空のかけらが見え隠れしている。陰鬱な天気の多いこの国にもやっと夏がやって来た。私は、イギリスのセカンダリースクール(中高校)で子供たちに日本語を教えるのを仕事にしている。9月に新学期が始まるこの国では、 7月は卒業、別れの季節である。
この日は私の日本語クラスの最終日。ささやかなお別れ会の準備をしていると、卒業生の一人、サイモンが菊の花束を抱えて教室に入ってきた。走ってきたのか色白の彼の顔は紅潮して汗ばんでいた。サイモンは、最近買い換えた新品の銀縁眼鏡の真ん中を右手の人差し指と中指で軽く押し上げてから、生真面目な笑顔を浮かべて、手にあった花束を私に差し出した。
「先生、これどうぞ。今まで先生が僕のためにしてくれたすべてに感謝します」
たった15歳なのに、礼儀をわきまえた小紳士のようだ。
私の担当している日本語クラスは、放課後の部活のような形態をとっていて、希望者だけが参加するクラスである。生徒たちはいやならいつでもやめることができる。日本はクールな国と思われていて、毎年新しいクラスを開くと、驚くほどの人数が集まる。空手や日本のアニメ、日本食が大好きなどとはしゃぐ子供たちだが、学習が進むと、語学の修得がただ思いつきでは続かないことを知って一人二人とやめていき、数年後にはほんの3〜4人の小さいグループになってしまう。サイモンはそんな中、最後までやめずに頑張った生徒の一人だった。
日本語を教えることは、外国で暮らす日本人の私にとって、鏡の中に映る反転した自分の姿を見つめているようなものだ。外国に住むためにその国の言葉や風習を覚え、そこになじもうとがんばる。その作業をうまく成し遂げるためには、私はいい意味でしっかり日本人でなければならなかった。
サイモンの家庭は経済的に決して楽ではなく、彼は新聞配達のアルバイトをしていた。そのバイト代で花束を買ってくれたのだと言う。プレゼントは、そこに誰かの「精一杯の想い」が込められたとき、それだけで最上のものとなる。この仕事ができて本当に嬉しいという至福の想いで胸がいっぱいになった。
「仕事をする意味」とか「この仕事をやっていて何になるのか」とかいった類のことを仕事を始める前に考えてしまう人も多いことだろう。しかしそれらの答えは、仕事を始めた後で、ふとした瞬間に誰かからそっと差し出される感謝の言葉とか、自分の内側から源泉のようにわいてくる喜びの瞬間とかによって、『結果』として私たちに与えられるものなのではないだろうか。だから、まずは、「働いてみること」だと思う。目の前にある自分のなすべき仕事に真摯にまずは取り組んでみる。理屈やあらゆる疑問の答えはその過程の先におのずと結果として示されるはずだ。私にとって、サイモンのくれた花束がそうであったように。
菊の花びらの先が茶色くなり始めたころ、日本語を含む学期末統一試験の結果が一斉に発表された。クラスで一番成績が心配だったサイモンは、他の生徒と並んで、みごと日本語で最高マークの「Aスター」を獲得していた。そして、彼からこんなEメールが届いた。
「先生に教えてもらった日本語のスキルをこれからも大切にして行きます。先生のおかげで、日本は僕にとって特別な国になりました。」
私にとっても、彼の国が特別になった。そして、この仕事を通じて私が何よりも知ったのは、自分の国「日本」をいとおしく心から大切に思う自分の気持ち。働くことで誰かを幸せにでき、その結果自分も何かを学び、幸せな気持ちになれる。これから働く人にも、今働いている人にも、いろんな形の「花束」をたくさん受け取ってほしいと思う。働く意味はその後考えても遅くない。