【 入 選 】
仕事を転々とした。どれも中途半端で終わった。辞める度、「もうやり直しはきかない。おまえの人生は終わりだな」と周囲から言われた。俺もそうだと思い始めていた。いつの間にか三十路を超えていたからだ。
そんな俺が大学院に入学した。32歳のときだった。雑学程度にフロイトの精神分析理論などを読んで感銘を受け、少なからず心理学に興味を抱いていた俺の一大決心だった。とはいえ、大学時代に心理学の講義を受けておらず、日本文学を専攻していた俺にとって心理学は畑違いだった。おまけに大学卒業後、もう10年近く経っていた。心理学の専門知識がないと共に、大学院の受験科目である外国語の知識も忘れていた。それに俺は決して頭がいいとは言えない。新卒の利発な若者と競っても勝ち目はないと思った。当時、臨床心理学は大人気で大学院を受験する者が非常に多かったのだ。
受験対策のための専門学校に通い、各大学院に足を運んで大学院生たちから話を聞いて助言をもらった。あのときのバイタリティがどこから湧き出したのか今は不思議である。おそらく台所の隅っこに追い詰められたゴキブリが火事場のクソヂカラを発揮して飛びかかってくるのと同じ原理ではないかと思う。
生活をしなくてはならないのでアルバイトもした。仕事が終わってから月極めで借りた「自習室」で勉強した。そして週に一回ある専門学校の授業に出た。食費を削るために生まれてはじめて自分で弁当を作った。とはいえ、いわゆる日の丸弁当である。
そのように三十路過ぎの錆びついた頭のオッサンが受験勉強を始めても、まったく自信が持てず、不安がいっぱいで、心が折れそうになるときがしばしばだった。だから、あるとき厳しいことを言われても事実としてそれを受け入れようと、授業が終わった後で専門学校の先生に、「実は大学院受験を目指している者なのですが…」と相談を持ちかけた。自分の年齢のこと、合格する自信がないことなどを赤裸々に吐露した。
ひととおり話を聞き終わった先生は意外にも笑いながら、あっさりとこう言った。
「大学院受験は大学受験より簡単だよ。考えてみてごらん。大学受験は受験科目が多いけど、大学院受験は専門科目と外国語のたった2科目だけじゃない。専門科目は好きになればどんどん身に付くし、あとは外国語の勉強をすればいいだけだよ」
目からウロコが落ちるとはこのことだろうか。それを聞いた途端、ハッとした。そう言われれば、その通りだ。モノは考えようというものか。たった2科目だったら現役の東大生と競っても勝ち目があるかもしれない、そんな妙な勘違いさえ湧いてきた。
その日以来、俺は大学院受験を深刻に考えることを止めにした。たった2科目のテストに俺はチャレンジするのだと自分を鼓舞した。心が折れそうになったり、若くて利発な受験生に脅威を覚えたりしたとき、「でも、たった2科目だけのテストだ。俺にだって勝機はあるんだ」と自分に言い聞かせた。
そして春、俺は清々しい気持ちで学びの門をくぐっていた。それは単なるスタートに過ぎなかったが、俺にとっては人生一発逆転ホームランのような出来事だった。
もしもあの一言がなかったら、俺みたいな中途半端な人間は途中で心が折れていたかもしれない。歯を喰いしばって継続するのは難しい。今までの俺がそうだった。途中であきらめなかったのは、あのときの一言のおかげだ。ふわっと心を軽くしてくれたあの一言のおかげだ。
今、俺は多くの人の悩みを聞いて心のケアに尽力している。困難な仕事だが、やり甲斐がある。今度は俺が背中を押してやる役割を担っているのである。