厚生労働大臣賞

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
勇気を継続させてくれた言葉
岡山県 米山 晴巳 50歳

「米山さん、ちょっといいかな」
私は、精神障害施設の事務局長に呼ばれた。この施設にボランティアで入り、2年がたっていた。実は、私は精神障害者だ。精神科看護師として働いていた最中にうつ病を発症。
以来、六年間精神科のクリニックに通院している。うつ病になってから3年間、リハビリ出勤を続けたが、心と身体がついて行かず、退職した。定年より10年も早いリタイアだった。

その日は調理実習の日だった。みんなで作った昼食を食べ終わると、声がかかった。私は「何か悪いことでもしたのかな」と思いながら、事務局長の部屋のドアをノックした。「どうぞ!」と声がした。私はおそるおそるドアを開けた。茶色のソファに座る。「実はAさんが三月いっぱいで辞めることになってね。後任を探しているんだけど、米山さん、ここで指導員をしてみないかな」「えっ!指導員ですか?」私は耳を疑った。看護師としては働くことができなくて、更に私がうつ病であることを知っている事務局長は、続けて言った。「心を病んだ者にしかわからないことも、米山さんには、よくわかると思う。ここで働いてみてはくれないだろうか」「私でよければ受けますが、私は看護師しか経験がありません。事務の仕事は出来ないですが、それでもいいのでしょうか」「物事には三つある。一つはしなければいけないこと。二つ目は、してはいけないこと。三つ目は、どうでもいいこと。われわれは、このどうでもいいことまで完璧にしようとする。そして『大変だ!忙しい!忙しい!』と言っている。しなければいけないことだけができればそれで充分だと思うんだが、どうかな」「その通りです」「今、自分は水泳を習い始めた子供のようなものだと思えばいい。水の飛び込むまでが怖い。だが、いったん水の中に飛び込んでしまえば怖くない」事務局長のたとえ話は、私の心に響いた。「4月から、よろしくお願いします」

こうして、私はうつ病と仲良く暮らしながら、指導員として利用者さんと関わっている。「どうかな。慣れたかな。4月に比べて表情がやわらかくなったように思うが」「おかげさまで、どうでもいいことはしていません。だから慣れました」笑って答えた。飛び込む勇気も必要だったが、それから先、私の背中を押してくれたのは利用者さんの言葉だった。「米山さんが指導員になってくれてよかった」私はほんの少し涙がこぼれた。梅雨入りしたのに、よく晴れた日だった。

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