「先生、これからよろしくお願いします」18歳になり初めて先生、と呼ばれた時は少しくすぐったいような、気恥しいような、でも誇らしさが強く混ざっていた。私は3歳からヴァイオリンを習っていて、いつしかヴァイオリンが自分の一部となり音楽大学に入学する事ができた。
初めての生徒は近所の男の子だった。以前からヴァイオリンに興味があったという。私が音楽大学に入学した、と聞いてそれならば近所だし教えてもらうことは可能かと連絡があった。高校を卒業してすぐの私は、また子供で自分が先生としてお金を頂いていいのだろうか悩んだ。だが母が「いい機会だしやらせてもらったら?教えるといっても生徒さんから教えて貰うこともたくさんあるって気づくよ」と背中を押してくれた。母はピアノの先生として自宅でピアノ教室を開いていたのだ。田舎のピアノ教室としてのんびりとやっていたが、生徒さんからの師事は厚くたくさんの子供達が通っていた。
私は母に少し協力してもらいながら、早速先生としての準備を始めた。レッスンの進め方、月謝の金額、使う教本、ヴァイオリンの購入。全てを自分の考えで進めていかなければならないのだ。今までは私自身が生徒として先生の指示に従っていただけだったが、これからは私がこの生徒を育てていかなければならないのだ。この生徒はいわば私が作り上げる芸術なのだ。生徒の芸術性が上がるかどうかは教え方にかかっている、と思う。
レッスンは丁寧で優しい先生というスタンスで進めていった。音楽はまさに字のごとく音を楽しむものだ。ヴァイオリンを演奏できるレベルにするには長い年月の努力が必要になる。その間もヴァイオリンを嫌いにならずに、細く長く楽しめる生徒に育てていきたいと思った。
そして1か月がたち、初めての月謝が手渡された。「先生、来月もよろしくお願いします。子供がヴァイオリンのレッスンを楽しみにしています。先生の事が大好きになったみたいです」とお母様がおっしゃった。
初めて自分の能力でお金を稼いだのだ。何か物を売ってお金を貰うのではなく、自分の能力を伝えることでお金を貰う。目に見えないもの、自分の価値への代金を貰った。
初めての月謝を貰う時は目がうるんでしまった。
それからも何年もヴァイオリン教室は続くことになった。教えると同時に自分も生徒からはたくさんの事を学んだ。体が勝手に習得してきたことを口で伝え、相手に理解させることの難しさ。そして何よりヴァイオリンの楽しさを教えられただろうか。
でもその疑問の結果はヴァイオリン教室を始めて15年たった今もほとんどの生徒がヴァイオリンを続けてくれていて、ヴァイオリンを弾く事を楽しんでくれている。という事が答えだと思う。自分の教え方、育て方の基本は間違っていなかったのだと安堵する。
私は人を教えるという事を仕事にした。初めは成り行きから始まった仕事だったけれど、私はこの仕事がとても好きだ。人と関わり、人に学び、人を育てる。毎日の変化がすぐには目に見えないかもしれないが、小さかった芽が今は大輪の花を咲かせている。そんな喜びを貰う事ができる。
そして自分が吸収してきた人生の全てを引き継いでくれる人がいる。自分の生きる価値がここにある、と誇れる。
15年たった今もまだまだ間違っていたところや学ぶ事はたくさんある。でも自分が育てた芸術の花々が美しい色を持って美しい音色を奏でる。それが自分の希望であり、夢であった。これからもこの仕事を続けながら素敵な夢を持ち続けていきたいと思う。