僕はどうしても○光さんが苦手だった。
僕の仕事は、認知症グループホームの介護職。仕事柄当然、下の世話、排泄の介助など衛生上問題のある仕事内容が多い。しかし僕が苦手なのは、そうした衛生上の事柄ではなく、極個人的な事柄でただ単純に○光さんという人が苦手だったのである。
○光さんは、認知症というよりも、身体的に問題がある入居者さんだった。歩行、排泄、更衣、入浴などあらゆる面で介助が必要なのだが、とにかくよく怒鳴る。
「愚図!!!」
「はやく!はやく!!はやく!!!」
「うるさい!うるさい!!うるさーい!!!」
単語を三回繰り返し、だんだんクレッシェンドして音が大きく高くなり最後は叫び声になるのが特徴だ。
○光さんが怒鳴ると、あまりの声の大きさに、他の入居者さんも驚き、心臓の弱い方は、はぁはぁはぁと過呼吸になる始末。
○光さんは怒りっぽいに加えて、せっかちなのだ。
たとえばトイレ介助で便座に座ってもらっている際、○光さんは、おしっこがまだ出ているのにも関わらず「もうええわ」と立ち上がってしまう。
すると、残尿がズボンや、リハビリパンツをびっしょり濡らしてしまう。そこでズボンやリハビリパンツを交換しようとすると「早く!早く!!早く!!!」と始まる。僕は、○光さんの付き添いにつく度に、なるべく怒鳴られないように細心の注意を払ってやるのだが○光さんのせっかちはその細心をも軽く凌駕するのである。だから僕はどうしても○光さんに大いに苦手意識を持ち、いつも軽いため息と憂鬱な気分で接していた。
ある夜勤の日、予想通り○光さんは怒鳴りだした。○光さんは食後部屋で横になっていたのだが、他の入居者さんの話し声がうるさくて寝られないという。僕は「すいません」といい、○光さんの部屋のドアを締め、入居さんには、○光さんの部屋から少し離れた場所でおしゃべりしてもらった。
それでも部屋から「うるさい!うるさい!!うるさーい!!!」と怒鳴り続けるため、僕もこらえきれなくなり○光さんに詰め寄った。
「これ以上静かになりません。ここはみんな共同で暮らす場所です。○光さんのためにみんなを黙らせることはできません」さらに怒鳴られても仕方ないと思ったが意外にも○光さんは、「仕方ない。ヘッドホンとってくれや」と言った。僕がヘッドホンを渡すと○光さんは、ゆっくり眠りについた。
それからは○光さんが怒鳴る度、「どうしたらいいですか?」と一緒に考えてもらうようになった。そしてそのやり取りの中で、○光さんは米国生活が長く、考え方も米国人らしいことを知った。そして○光さんの若かりし頃の話、乳離れが悪く困ったお母さんがおっぱいに漬け物の汁をつけて乳離れさせたため、○光さんが漬け物嫌いであることを知った。
僕が今まで○光さんが怒鳴っていると思っていたことが実は○光さんなりの米国流「主張」だったのだ。その主張に対してただ受け止めるのではなくこちらの主張も投げかけて妥協点を探していくと○光さんもあまり怒鳴らなくなった。
そしてそれ以上に僕は、○光さんとよもやばなしをし、彼の歩んできた道を聞くたびに、僕の苦手意識はなくなっていた。
苦手を乗り越えるということ。
普段、生活をしていると人間関係でも、一度苦手と思ったら、関係を経つか、距離を置くようにしていた。自分と価値観の合う人としかつきあわなかったように思う。
苦手のその先に、成長と新たな人間関係が生まれる。
好きなことをしていることは、好きなことを好きなだけやっていればいい。しかし、仕事の場合は、得手不得手では語れない。当然やらなくてはいけないことがある。
それはすごくストレスのかかる、憂鬱なことであるけれど、いざ挑戦して、その苦手を克服することでさらに自分が高まることを実感する。
それは仕事だから学べること、働くことの「第二の報酬」なのではないかと思う。