とても腹立たしかった。
「会社辞めてきたから」
夏の日の夜、そう一言だけ言い放ち、父は部屋へと戻っていった。私はまだ学生だった。決してお金に余裕がある家計ではない。母も、朝から晩まで働いている。弟は私立の高校生だ。そんな中、突然の父の離職、リストラなのか志願なのか、またそれはなぜなのか、何も知らされなかった。聞いたのは、辞めたの一言だけだった。
それから2カ月、父はずっと家にいるようだった。平日の昼間から、ビールとするめを手に、バラエティ番組を見て大笑いしている。毎日汚れるまで着ていたスーツは、ずっと洋服ダンスの中だった。記者だったころの面影は、もうない。僕はその姿を見て、爆発しそうなくらい、はらわたが煮えくり返った。なぜなら父が大笑いをしている間も、母はずっと一人外で働いているから。一体これからどうなるのだろう、先を考えれば考えるほど、不安になった。
しかし、父には何も言えなかった、言う気になれなかった。そのまま母に愛想を尽かされて独り身になり、どこかへ行ってしまえと思った。こういう人間だけには絶対にならないと決めた。家族の会話は次第に減り、ついにはなくなった。私が父のいるリビングに行くことも、一切なくなった。
我慢できなくなった私は、母に愚痴をこぼした。
「もうあんな人、自分の親と思いたくない」
すると母は、重い口を開くように、ゆっくりと話し出した。
「あなたには言わないでおこうと思ったけど、やっぱり言うね。お父さん、前の会社を辞めたのは、昇進の話があったからなの。お父さんは受けたかったと思うんやけどね、なるには単身赴任になってしまうの。でもあなたたちも働き出したらこの家を出てしまうだろうから、少しでも家族全員で一緒にいたいって断ったの。そしたら人間関係が悪くなってしまって、会社にいにくくなってしまって、それで辞めてしまったの」
「そんなことが…」
「ああやって家でゴロゴロしてるように見えるけどね、転職の面接はもう何十社も受けてるの。でも、なかなかねえ…お父さんは大好きな記者の仕事をしたいんだけど、なかなか難しいからもう諦めて、就ける仕事ならなんでもするって最近言ってるの」
「そ、そんな…」
「あなたたちに心配かけたくないからその姿は見せないけど、みんなが寝たころに深夜のコンビニのアルバイトにもこっそり行ってるの、お母さんは止めたんだけど…」
その話を聞いて、私はすぐに、子供のころに何度もやった父とのキャッチボールを思い出した。自分が元気に育ったのは、父のおかげだ。私が抱いていた怒りの矛先は、父からすぐに自分へと変わった。とても自分が情けなかった。何も知らなかった、知ろうともしなかった。父は必死に家族を支えようとしていたのに、私は父のことをとても悪く思ってしまっていた。父は、苦しかったに違いない。面接に落ちた日など、きっと昼間から悔しくてお酒を飲んでしまうのは当然だ。勘違いをしていた。急に父が愛おしくてたまらなくなった。父が苦しいときに、私が力になれないで誰がなる!
「働くこと」と「家族」の関係を、深く考えるようになった。家族とは、何があっても支えあうべきものだと、この出来事から学んだ。父が死んでいなくてよかった。父は今、この世にちゃんと生きている。だからこの先何があっても、思いっきり働いて、私は大好きな家族を支えたい、守りたい。父の背中を見て、そう決意した。
その翌月、父の仕事が決まった。面接では結局100社ほど受けたが通らなかった。しかし、父の同級生が会社を立ち上げることとなり、そこに参加することになったのだ。
もちろん、記者の仕事だ。