【佳作】
【テーマ:私を変えたきっかけ】
私を変えたきっかけ
静岡県立磐田農業高校  鈴木 宏誌 17歳

数年前、当時小学生の私は学校いうものが大嫌いであった。当たり前のように授業を放棄し、友人たちと校舎裏へ行き、時間を持て余していた。そんな日常が私たちにとって、当たり前のことであり、教室で授業を聞いている時の方が異常であった。今思えば、あの時、もう少しちゃんと勉強をしておけばと、後悔している。しかし、そんな私でもスポーツや体を動かすことは好きだった。体育の授業には必ず出席し、クラブ活動やスポーツ少年団に入って様々なスポーツに取り組んでいた。野球、水泳、バスケットボール、柔道など経験のあるスポーツは多い。中でも野球は一番真剣に取り組んでいた。スポーツ以外のことにも同じように取り組めていたら良かった、と今は感じている。

結局、小学校ではそのようなことに気付かずに悪い生徒として卒業してしまった。しかし、中学校入学時に私の今までの考え方を大きく変える出会いがあった。クラス分けがあり、小学校時代私を含めた数人は悪い生徒と中学校に調査票がいき、全員が別々のクラスに振り分けられた。担任の先生が発表されたときに初めてその人と出会った。

その先生の担当教科は体育。絵に描いたような熱い先生で、私とは絶対に合わないと感じていた。しかし、その先生は今まで私たちを煙たがって避けるようにした先生とは違った。私と真正面から向き合ってくれたのである。初めて先生に対し信頼が生まれた。私はこのとき、今までの考え方がいかに幼く、浅薄な考え方だったかに気付いた。今までの考え方、行動では社会に出たときに通用しないし、人生を楽しめないと教えられた。それから私は冷めた考え方をしなくなった。「どうせ無理だ、俺なんか」今までだったら簡単に口にしていただろう。しかし、初めから自分の限界を決めつけ、出来るかもしれないのにもかかわらず、逃げることは人間として恥ずかしい。だから何事にも挑戦した。大好きなスポーツはもちろん、大嫌いな勉強にも手を出してみた。その先生は人生を方向転換してくれた。その頃から私の将来の夢、就きたい職業が決まってきた。

「教師」いわゆる先生である。私を変えてくれたのは先生であり、先生がいなかったら今の私はどうなっていたかわからない。だから私も、私のような人間を私の手で良い方向に導いてあげたい。夢のない人間に夢を与え、その夢を応援し、サポートできる職業は教師しかいないと私は考えている。だから私は教師になる。無理だという人間もいる。しかし、私が先生から学んだことは、やってみなければわからないということである。私は挑戦する。

教師という職業は簡単にはなれるわけではない。教育者なのだから人に教える立場の人間として、身に付けなければならないものがとても多い。若い将来性のある人間の人生をも左右してしまうのだから、それも当然のことだろう。今の私は、まだまだ未熟である。私自身がさらに成長しなければ教師になどなれない。自分の現在地を明確にして、何をするべきかはっきりさせて、一つ一つクリアし、着実に教師への道を歩んで行きたい。

教師になったら私の夢が叶ったわけではない。教師として働くにあたって、私のやりたいことは山ほどある。生徒のために全力を尽くし、生徒のために努力を惜しまない先生が私の理想の先生である。その理想に向かって日々努力してゆきたい。

「厳しい道でも挑戦する」この言葉が私を変えたきっかけであり、これからもこの言葉を忘れず進んでゆく。

戻る