【入選】
【テーマ:世界と日本 ― ○○から学んだこと】
世界と日本 ― ジャマイカ人から学んだこと
在ジャマイカ  原 彩子 26歳

バナナをひと房だけ抱えた中年の女性が、市場の脇をのろのろと歩いていた。近くで買ったのだろうと思っていたら、私とすれ違った際にバナナをこちらにつき出し「バナナはいかがー?」と声をかけてきた。売り物だったのか! と驚いたことは言うまでもない。

青年海外協力隊としてジャマイカに派遣されて半年が経った。白い砂浜と透き通るカリブ海が広がる観光地ポートランド。ジャマイカ人青少年の環境意識を高めるという使命のもと、ジャマイカ4−HクラブというNGOで働いている。

日本で会社員として働いていた頃に最も違和感を覚えたのは、空調機に囲まれた部屋の中で、時に1日中外出することもなく、今が昼か夜かも分からずに仕事をしていたこと。自然のそよ風を感じることも、季節の移ろいを感じることからも遠ざかっていた。夏でも冬のように寒い社内では、ひざ掛けを使用することがあった。パソコンの画面ばかり見るせいで、視力は下がり、肩は凝り、自分が働く機械と化していくように錯覚した。もっと自然の中で、自由に音楽を聞きながら仕事する方が人間らしく、効率も上がるのでは、とずっと考えていた。

ジャマイカはレゲエ音楽発祥の国。だから、どこに行っても音楽が聴こえる。家やオフィスの中はもちろん、バスやタクシーの中でも。ショッピングセンターでは衣服の販売員も時には声を出して歌いながら接客する。アパートやホテルの警備員も、仕事がない時は携帯音楽プレーヤーのイヤホンを耳に、音楽に乗って踊っている。

私の働くオフィスは、日中は電気をつけない。ラジオからは陽気な音楽が流れて、時に同僚は口ずさむ。電気代の高いジャマイカでは、エアコンがどこにでもあるわけではない。オフィスには扇風機はあるものの、汗をかきながらパソコンに向かっていることも珍しくない。自らが憧れた環境にいる。

こんな環境に身を置くと、働くということは根本的な「生きる」という欲求からきているのだろうと強く考える。日本人は働くことに生きがいや、やりがいを求めすぎなのではないか。

会社の後輩が自らの命を絶ったことがきっかけで、ジャマイカにくることになった。彼女が命を捨てるほど耐えられなかったこととは何なのだろう。日本の社会で生きていくことに理想を求めすぎていたのではないか。

私が今住んでいる町の友人から言われて驚いたことがある。
「今お腹空いているんだ。ランチを買うお金がないからちょっとお金をくれないか」
お金を貸してくれ、ではない。与えるという意味の「くれ」だ。その時は彼の作ったピアスを購入して、労働の対価としてお金を払った。また、お酒を飲みにいこうと別の友人に言われて一緒に行けば、私が全部払うこともあった。正直、日本の常識からは考えられない。彼らの本意は分からないが、それでも友人として私を扱ってくれるのが不思議だ。

町を歩けば、路上で野菜や果物、雑貨を売る物売りの多さが目につく。日本のコンビニのように、同じような品揃えをした商店が乱立する場所もある。

首都行きのバスが途中の町に停車すると、ジュースやお菓子を売ろうと何人もの売り子が必死に乗り込んでくる。  もちろん、日本のように様々な企業で働くビジネスマンもいるが、田舎で暮らしていて出会うことが多いのは日々の糧を必死に稼ごうとする者たちなのだ。

現在、20代の若者の自殺数が増加しているという。日本の雇用状況が厳しく、就職活動を苦に、世の中に絶望して自らの命を絶つようだ。しかし、私は言いたい。音楽でも聞いて、まずは人生を楽しめ! と。生きる方法はひとつではない。必死で生きようとすれば、例え望んだ仕事に就けなくとも、やりがいを感じられなくとも、充分ではないかと。まずは生きていることに感謝し、その命を全うすべきだ。どうしても生きていくお金がなければ、人に頼めばいい。理性で生きようとせず、本能で生きることも時には必要であるに違いない。ジャマイカ人の口癖は「ノープロブレム!」もっと、本能的に気楽に働こうじゃないか。

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