日本勤労青少年団体協議会 名誉会長賞
【テーマ:○年後への夢、そして仕事とは】
就職先はベトナム、仕事に対する決意
ベトナム ダナン市  江野尻 咲 24歳

国際空港で食べた祖母の手作り弁当は今までの人生の中で格別な味がした。

笑顔で母と空港で別れた私は、ダナンというベトナム第三の街へ飛んだ。旅行でも出張でもない、現地企業での就職のためだった。私の心に迷いはなかった。

初めてベトナムを訪れたのは大学一年生の夏休みだった。大学で知り合ったベトナム人の友人を訪ねたことがきっかけだ。訪問前の未知なる国ベトナムについての印象は発展途上で汚い、地雷があるかもしれないという何ともお粗末なものだった。しかし、到着するとこの印象は一気に覆された。ダナンという街は、観光都市として政府が推進しているためきれいだった。この街に惹かれ、毎年ダナンを訪れた。訪問する度に、新しい建物やリゾートホテルの建設ラッシュ、自動車の数も年々増え、街並みが変わっていく。大学三年になり、日本で就職活動を行いながら、いつも心の片隅にある気持ち。「ベトナムで仕事をするってどうなんだろう・・・」苦戦しながらも内定を頂き、社会人をスタートする準備が整ってもベトナムへの想いがいつもどこかに潜んでいた。ある日、ダナンに住むベトナム人の友人から連絡があった。どうやらベトナムのいくつかの企業が日本人の社員を探しているという。このままでは、後悔するかもしれないと思った私は、一週間後ベトナムへ飛んだ。常夏の国でリクルートスーツを着た私をベトナム人は二度見、いや三度見した。10日間の就職活動の中で複数内定を頂いた。日本では、内定を頂くこと自体厳しいと痛感していた私にとって短期間でいくつもの内定を頂いたことは、いかに日本人を必要としているかが窺えた。その後、日本での内定を取りやめ、2カ月後、国際空港で祖母の弁当を食べていた。

就職先の企業はソフトウェア業界で取引相手の半分以上が日本企業だ。現在の業務は、主にベトナム人の日本語能力向上のための教育に携わっている。現地採用のため、私以外の社員は全員ベトナム人だ。現在ベトナム語を修得中のためほとんどのコミュニケーションが、日本語か英語である。うまく会話ができないこともしばしば発生する。給料も、日本の初任給の数分の一である。なぜ、たくさんのリスクを承知でこの街で就職する決断に至ったのか。その理由は二つあるように思う。一つは、まさに今目まぐるしく発展している環境の中に身を置くことで、自分の成長を見出せると思った。この街には以前日本にあったであろう活気や勢いに溢れていると実感した。二つ目の理由は、今だからこそ挑戦できると思ったからだ。そこに後押ししてくれたのは母の存在であった。女手一つで育ててくれた母の姿は偉大である。母は常にポジティブで、ベトナムのこれからの将来の可能性を確信していた。一緒に生活をしていると喧嘩ばかりで、思春期には随分手のかかる娘であったと自分でも思う。しかし、国を離れて生活し、社会人として自分で稼ぐようになると親の有難味を痛感することになる。時差のある離れた場所にいるのに、一緒に住んでいる時よりも近い存在に感じる、何とも不思議な感覚だ。常に信頼し、私の背中を押してくれる。

そんな家族の後押しがあってこそ、海外の企業で働くという決断ができた。入社してもうすぐ半年を迎えるが、色々な問題に直面する。仕事に対する考え方、習慣などその多くはベトナムと日本の違いだ。仕事に対してあまりにもスタンスが違うと本当にしんどくなる時もある。しかし、ベトナムで就職するという決断は誰でもない自分で決めたことなのだ。自分の行動と言動に責任を持つこと。自分の人生をいかに素晴らしいものにしていくか、それは他人が決めることではない。帰国する時には、何かを成し遂げたという達成感を持っていたい。今よりも成長した自分でありたい。時にはめげそうになる時もあるが、そこはグッと堪える、我慢する。先の見えないトンネルでも必ず明りは見えてくると信じるのだ。

仕事とは、自分を成長させてくれる環境、自分を信じてやり通すことだと思う。

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