幼い頃、父親と湯船につかって、いろいろな話をした。長湯してのぼせては、母親に父子そろって笑われたものだ。おそらく、父なりの我が子とのコミュニケーションの時間だったのだろう。そんな父との大切な会話の中で、僕が今でも一言一句はっきりと思い出せるものがある。
将来の話だ。
小学校低学年のことだったと記憶する。「大きくなったら何になりたい?」という父の問いかけに、大工、絵描き、宇宙飛行士・・・と思いつくままに夢を語った。話しながら、幼いなりに世の中にたくさんの仕事があることに気付き、僕はふと頭に浮かんだ疑問を父にぶつけた。
「一番えらいお仕事って何?」
父は急に引き締まった顔になり、ゆっくりと語り始めた。「えらい」を威張ることだと考えているなら、それは正しくはない、と。世の中の仕事が一つでも欠けたら、今ある生活は成り立たなくなる、と。誰もが知っている総理大臣だって、名前も知られない道路工事のおじさんだって、同じくらいなくてはならない仕事だ、と。今ある生活のため、より良い生活のために、その人が誇りを持って打ち込んでいる仕事であれば、どれも一番えらい仕事だと思う、同じくらい感謝している、と。
当時、父の話を全て理解したわけではないが、言わんとしていることは何となく分かったつもりであった。
さて、昨年、若者のつどいに参加し、異なる環境にいる方々と意見交換する機会をいただいた。就職難について、不況について、夢だった仕事が思うようなものでなかったことについて、様々なテーマについて話し合った。その中で、僕が帰宅してからもずっと考え続けていることがある。
自分が就く医師という職業についてだ。今、僕は大学三年、医学部に通う学生だ。卒後と同時に医師という職に就くことが決まっている特殊な環境に身を置いている。昨年の若者のつどいでは、就職活動をせず、安定した職につけることを羨ましいとおっしゃってくださる方もいた。就職氷河期と呼ばれる今の時代で、免許を必要とする職業に道が開けているのは幸せなことかもしれない。
しかし、18歳で将来を決めたことが正しかったのだろうかという疑問は未だ胸に残っていたし、何より人の命に携わることになる、そして医師という職業にも消化器外科、心臓外科、循環器内科、眼科・・・と無限大な選択肢がある。その中から、学生の間に、自分に見合う、自分ができる専門を見極めなければならない。日夜、不安がつきまとってきた。
だから、今回、この作文を書くにあたり、不安の源である仕事について、あらためてじっくり向き合ってみた。すると、先に記した、湯船の中での父との話を忘れかけている自分に気付いた。胸をときめかせて将来の夢を語っていた、あの頃の気持ちを忘れていることにハッとさせられた。
一年かけて、僕が出す結論は、シンプルに、自分がたどり着いた仕事に、ただひたすらに打ち込むだけでいいではないか、ということだ。実際に社会に出てみると、自分の思い描いていた仕事とのずれを感じることがあるのかもしれない。
だが、しかし、世の中に数ある仕事は、どれもすべて誰かの幸せを支えているのだ。ただそれだけで、すでに素敵なことではないか。誇りを持って、自分にとってのやりがいを見出せばよいと思う。僕は、そんな数ある仕事の中から、幸いにも、なりたいと思える職業を選べるわけである。なおさらだ。
もちろん、人の命に携わるのだ、莫大なプレッシャーからは決して逃げられない。だが、重たい責任を背負ってでも向き合いたいものがあると覚悟を決めたのだ。入学を決意した3年前の自分を信じ抜くことから始めよう。無限に広がる専門を選ぶに際しては、「できるか」ではなく、「胸が高鳴るか」をものさしにしたい。あとは、「できる」ようになるまで、ひたすら「やる」だけである。数十年後、なお高鳴り続ける胸の中で、ああ天職だったとつぶやけたら幸せだ。