大学を卒業して3年、僕は夢だった教師になれた。最初の5年はがむしゃらに頑張った。経験も技術もない勢いだけの自分にもクラスの子どもたちはよくついてきてくれた。けれど6年目くらいから、どういうことか仕事への情熱が薄まっていった。ただ毎日を漫然と過ごしてしまうようになっていた。
そんなある日、外を歩いている時、携帯に一本の電話が入った。以前、卒業させた教え子からの着信だった。雪がしんしんと降っていた新年明けて間もない頃のことだった。
「新年の挨拶かな、あの子もなかなか律儀なところがあるな」などと呟きながら、僕は携帯画面に写っている名前を見た。その子は僕と見た目がよく似ていて、「□□(僕の名前)ジュニア」なんてほかの先生たちから呼ばれていた子だった。彼は中学二年生になっているはずだ。
「久しぶり、元気かい?」
僕は本当に軽いノリで、そう言った。しかしそんなノリはすぐに吹き飛んだ。
「あのう、覚えてらっしゃいますか。○○の父です」
電話に出たのは本人ではなくて、彼のお父さんだった。
「あ、すみません。 ○○くんだと思って……」
突然のことに、僕の頭は混乱した。お父さんは、そんな僕の疑問に答えるように、こうお話されたのだ。
「実は一昨日、○○が逝きまして……あいつ、先生のことは大好きだったから先生にだけは連絡させてもらおうと思いまして」
「え?」
僕は恥ずかしいことに、「逝く」という言葉がすぐに入ってこなかった。何かの冗談だろうと思ったのだ。しかしお父さんの感情を極限まで押し殺した声を聞いていると、冗談などではないと理解した。
「なんでですか?」
僕は混乱する頭でどうにかそれだけを言葉にした。
「一昨日の昼に、気づいたらそのまま起き上がらなかったんです……」
後はもう覚えていない。ただ僕は、雪の降る中で、涙が止まらなくなりながら、彼の記憶を頭の中で手繰っていた。6年生スタートの日、体育館での担任発表の時、わざと他のクラスの前に並んでいる僕を見て、「裏切りもの、また担任だって言っていたのに」と叫んだのも彼だった。夏休み中に、好きな子につれなくされた時に相談に来たこともあった。卒業式では「先生、写真撮ろう」と言って、背伸びして肩を組んできた。そんな愛おしい彼がもうこの世にいないなんて、とても考えられなかった。自分より20歳近くも若い彼らが、先に生涯を終えていいものか。
僕はお父さんとの電話がつながっていることも忘れて泣いていた。そんな僕の涙声に、お父さんは「先生、○○のために、そんなに泣いてくれてありがとうございます。やっぱり○○が言っていた通り、先生は最高の恩師です。ありがとうございます。本当にありがとうございます」と何度も感謝の言葉を口にされた。父親というものがどれほど尊いものであるのか、僕はその時、初めて知った気がした。
その日以来、僕は漫然と教壇に立つことはなくなった。目の前の子どもたちは、いつまでも当たり前のようにそこにいるのではないと思い直したのだ。
たった14歳で生涯を終えることになった彼と、その父の尊い言葉に、僕が応えられるとすれば、担任している子どもたちに誠心誠意尽くすこと以外ない。
今年もまた蝉が鳴く季節になった。彼は夏が大好きで、よく学校の開放プールにも遊びに来ていた。「○○、先生がんばるからな」校庭の木々から聞こえるその鳴き声に重ねるように、僕は彼とお父さんにそう誓って、今日も教室の扉を勢いよく開けるのだ。