人生の転機に立った時、私は「無用の用」に救われた。そこに到るまでの経緯を少し述べてみたい。
学校卒業後、私は帝人という大企業に採用された。ところが、新入社員の九割以上は一流大学の出身者だった。私は場違いなところにいることを痛感し、1年で退職した。劣等感が心の奥底に残り、長崎県の平戸中学校の教員になった後も、長く沈殿していた。
これを克服するには勉強する以外にないと肝に銘じ、多くの書物を読んだ。担当教科の英語の教材研究は勿論であるが、現状に甘んじることなく、より高度な知識を得ようと励んだ。丁度「英検」が実施されたばかりの頃、一級の筆記試験に合格した。これによって、少しの自身をひそかに持つことができた。また、研究課題を自らに課し、人知れず五年間努力した。その成果は、ことばと文化の関係に注目した「基本英単語の表情」(600枚)となって上梓した。
しかし、これらは役に立つ有用な勉強である。仕事の勉強として当然なことである。
私は有用な勉強以外に知的好奇心のおもむくまま、文系、理系の垣根をとりはらって「系統的な雑学」にも精を出した。時には踏み慣らされた道を離れ、森の中に踏み込んでみると、今まで見えなかったことが見えてきた。この無用の雑学は直接的には明日の教育活動には役に立たない。だが、折々に私の心を耕し、人生の広がりと深さを静かに教えるものとなった。四十歳になると数千冊の読書体験が私を支えていることを痛感した。いつしか劣等感はすっかり消失していた。常に自らの未熟を自覚し、精進せよという「初心忘るべからず」の本意を心に留めていた。
50歳の時、再び人生の転機がきた。27年中学校教員を勤めた頃、心身の不調をきたし、定年を待たず退職した。半年ぐらい静養した後、大学受験を目指す高校生を対象とした塾に採用された。不安と緊張と闘志が交錯する日々であった。
新たな出発は私を変えたきっかけとなった。一つは能力を伸ばす契機となった。辞書、文法、語法、類語、慣用句など英米のものに数十種類親しむと「受験英語」の不自然さも目についた。もう一つは、これが一層大切であるが、先述した系統的な雑学の重要性である。荘子の「無用の用」である。「人みな有用の用を知りて、無用の用を知らざるなり」人は自分の両足で立っていられるだけの場所があれば立つことができる。しかし、もし余分なスペースがなければ立っていられない。つまり、無用な部分があって始めて立っていられるのである。
大学入試の英語は英文、内容共に中学のものに比べれば格段の差がある。特に内容把握の点では英語以外の無用な知識が不可欠である。
私を変えたきっかけになったものは、意外にも無駄な勉強の中にあった。学力とは知識技能に加え、人が持つ学識や経験の総合的な力と言えるのではないか。
75年の生涯を顧みて、私に幸福感をもたらし、僅かばかりの英語力を支えてくれたものは無用な部分であったと信じている。地球内部にあるマントルの流れが、大陸を動かす大きな力となっているように。
最後に、若い人達におこがましいことばではあるが一言申し上げたい。
老年期は若い時からの蓄積の総決算の時期である。もしそうなら老人の諸問題は若人の問題でもある。人は誰でも生きてきたように老いていくからである。
私自身について言えば、生涯を通して地位や名誉や財産とは無縁であったが、若い頃からの読書体験は年老いても無形の財産として残り、幸福の源泉となっている。