【努力賞】
【テーマ:世界と日本 ― ○○から学んだこと】
世界と日本 ― 外国人から学んだこと
福井市  Y.Inoue 62歳

霧が立ち込める早朝、ピンクのトレナーを着た20代の女性が公園のベンチで苦しそうに喘いでいた。
「どうしたんだい」と声をかけると、
「私、アメリカから来た,助けて」片言の日本語で話した。
彼女は体が悪いわけではなかった。よく聞いてみると、心が痛んでいた。
私は一人娘が都会に行き、妻に先立たれた60歳。
「何かできることがあるかい」
私はかつて、アメリカで学生生活を過ごした頃にワープしていた。
不安で淋しい思いをして、誰かに助けを求めたい気持ち。
この娘も同じ。
「歩けなくなった」
「いいよ、落ち着くまでそばにいてあげる」

私の仕事は通訳である。彼女はそれから時々,朝のジョギング中、出会うことがあった。私は何かと話を聴いてあげた。彼女は中国系アメリカ人で英語ができた。日本で働くことを目的にやってきた。現在は公認会計士を目指して、専門学校に通っていて、夜はコンビニでアルバイトをしているとのこと。私は日本での就職は、大変厳しいと思っていた。なぜなら日本人でも難しい公認会計士の仕事を彼女が例えアメリカの大学で会計学を学んだとしても、日本語の問題を克服できるか疑問に思った。しかし、彼女は懼れずチャレンジしようという精神に、日本人と違った若者のワーク・スタイルを求める姿を見たような気がした。

グローバル化の進む社会の中で、仕事をする場所やそれに適した生き方のできる国を選ぶことの重大さに、彼女が気づいている事に私は驚いた。

それから彼女が時々、我が家で開くホームパーティーなどに、遊びに来るようになった。そこでは、いろいろな国からやってきた若者たちの意見交換会の場でもあった。

彼女はソーシアル・ネットワークを使って、自分の仕事の適正を考えているようだった。つまり、何を日本の社会の企業が求めているのか?また、企業人になった時のコミュニケーションのあり方、古い体質のトップダウンの企業形態、日本の会社の特徴を探っていた。そして、一地方の社会とビジネスが結びつく何かを模索し始めていた。私のアドバイスは、自分にとって働くことの意義を見出せるビジネス・モデルを自分なりにプランニングすることだと教えた。

彼女は地方ブランドと地域が抱える環境問題など、始めは、アメリカ式のコミュニティー・ビジネスを考えているようだった。彼女の計画は、自分の仕事能力と日本の会社での働く場を先ず見つけることであった。資格と会社が求める仕事力を見極め、そこから地方の疲弊した経済と向き合う思い切った考えに、若者のエネルギーを感じた。具体的に、会社に勤めて、そこからマネージメントを学び、同じ考えを持つ仲間を集い、ビジネスを起こす計画は、これからの地方経済の発展を考えてのことであった。高齢化が進む地方の問題点を考えながら、ビジネスチャンスを見つけ、創出する知見に近未来の日本の地方ビジネスのあり方を示していた。私は、この若者にわが町が何を求め、何を生活基盤にしているのか教えながら、私の経験と若者たちのワーキングのあり方をアドバイスしていった。

彼女は、日本社会に適合しながら働くことの重大さを私に教えてくれた。
なんといっても、世界の中で日本を働く場に選んでくれたこと、そして、世界から見ても日本の一地方が住みよく、生活と労働のバランスの上で彼女の中で、高評価を与えてくれたこと、働くモチベーションをこの地に見つけたことに、私なりの日本人としてのプライドを満足させた。日本の会社に積極的に働きの場を求め、そこでのコミュニケーションと働き甲斐を第一に考えるようになった。情報収集能力やプレゼン力など、そのアビリティーを生かす会社社会に溶け込もうとする努力が見られ、外国から来た彼女のたゆまない努力とアグレッシブな生き方に、日本の若者に欠けている何かがあると感じた。

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