人は生まれ、仕事をしている親の庇護によって、衣食住を供給され、成長する。そしておのれが仕事をする年齢にふさわしくなると、仕事と対面する。仕事は義務や単なる手段と思われているかもしれないが、実はもっとずっと奥深い意義がある。私が仕事から学んだ事は次の4点である。
(1)人は仕事をする事によって、親の傘下から脱却でき、自立できる。仕事とは、人が社会に入れてもらう通行手形である。社会に入る事によって、人は社会からの色々な恩恵を受け取れるし、また社会へも貢献できる。仕事はまた、人と社会との双方向のベクトルをつなぐ鎖でもある。この意味で、仕事をしていない人は年齢をいくつ重ねても、「未成熟な子供」である。逆に、若くても社会で仕事をして社会と関連をもっている人は、「成熟した大人」である。現代の文明社会はそういう方々の、勇気ある挑戦と飛躍に支えられている面も多大にある。つまり仕事とは社会的に成熟する事である。
(2)仕事はもちろん生きるに必要な収入を得る手段でもある。しかし、それは目的ではない。健全な社会生活をする為には、仕事をして必要な収入はもらうべきである。独身なら独身を養う必要な分だけ、家族がいれば家族全員を養うに足る収入はもらうのが、仕事の結果でもある。したがって、必要な収入を得るだけ、日々働くべきである。1週間に1度だけ働くというのは仕事ではない。常識的には毎日1週間5−6日働いてはじめて、暮らしていくのに必要な収入が得られる。毎日働いても、生活が苦しいという方は多いだろう。その時は自分の生活を見直してみる。特別な贅沢はしていないか?あるいは、無駄な浪費はしていないか?よくよく自分の日々の暮らしを見つめなおしてみよう。その上で、必要な収入を仕事で得よう。仕事とは健全な生活をする事である。
(3)仕事は人間が生きる上での人と人とのコミュニケーションを作れる、いわば人間のつながりの糧である。仕事上の仲間もでき、中には知己もできるであろう。更にその中から、親友と呼べる方もできるに違いない。人は一人では生きられない。仕事上で一人でする作業に従事している方も、誠実に仕事をすればその仕事を通じて、多くの人々と結びついている。社会は、色々な職種によって成り立っている。どの仕事も社会に必要であり、どの仕事も貴賎の差は無い。だから一生懸命仕事をしている限り、孤独にさいなまれる事はない。心を開いて、自分の本分を全うすれば、その仕事はあなたにとって天職になる。つまり、仕事は社会的な友人を得ることである。
(4)仕事は人が生きる上での、バックボーンである。その人は仕事をしながら、全ての事を考え、行動する。もちろん仕事をする上での、辛さや苦しみは仕事につきものであり、克服すべきものである。しかし、仕事以外の悩み、苦しみもまた、仕事をすることによって、そのストレスから逃れられる。それは単なる逃避ではなく、積極的な我慢である。例えば、何かトラブルが起こって、非常に毎日が不安とする。その場合、仕事を休んで、自宅にとじこもり不安にさいなまれる事や、また病院に入院して、自分での解決の努力を放棄する事も、選択である。しかし、当然その問題の根本的な解決にはならない。なおかつ、これらは前述の成熟も、健全な生活も、社会的な友人も、放棄する事になる。そうでなく、不安をかかえても、仕事に打ち込む事によって、自分で作り出す妄想や混乱から脱却できる。仕事が終われば、その日の充実感や仲間からえた友愛で、そのトラブルに勇気を持って立ち向かえる。仕事は生きる為に必要な土台である。
まとめると、仕事とは、創造的な楽しみが生まれてくる素敵なチャレンジである。各人がそんな仕事意識を持ち、仕事から多くの事を学び、それを社会に還元する、そういう人々が群れ集う社会にしよう。