【努力賞】
【テーマ:仕事とお金】
仕事とお金
京都市  池上 博 53歳

『行ってきます』『気をつけて』

私が小学生の頃、毎朝、母と私は自転車に乗って工場へ向かう父の後ろ姿を見送った。

父の自転車の後ろの荷台には、毎朝、母の作る弁当がくくりつけられてあり、自転車と弁当箱が見えなくなるまで見ていた。

母は私と兄が喧嘩をしたり、くちごたえをすると『あんたらが生活できるのは、お父ちゃんがちゃんと働いて、お金をもらってきてくれたからだよ』と注意された。

給料日は毎月25日であったが、帰宅後に父から母に給料袋が手渡され、母が『今月もご苦労様でした』と父に声をかけた後、神棚に給料袋は供えられた。

子どもの頃にはお金のありがたみが、それほど分からなかったが、25日の直後の日曜に夕食が『すき焼き』になるのは子ども心にも嬉しかった。

父は福井の漁村で生まれたが、実家では食いぶちがなく、京都の伯母さんをつてに出てきて工場で水銀灯を作る工員になった。

兵隊として中国へ戦争にも行っていた父は、尋常小学校しか出ていなかったが、兄と私を大学まで行かせてくれた。

そんな父に今は感謝の念で一杯だが、高校の頃には人並みに反抗期があり父に反発する時期もあった。私は大学入学で1年浪人をしたがその時に父はタバコの量が増えて心筋梗塞で倒れてしまった・・・幸い1年後に職場に復帰して無事60歳の定年まで勤めたが、父にあの時にもう少し優しく接していたら、何事もなく定年を迎えられたのにと後悔している。

そんな父が定年になるのと入れ替わりに、私が働くようになったが、定年まで10年を切り、今度は一人娘が来年から社会人になる。

今年の春に最後の大学の学費を振り込んだが、振り込みと言えば、今は給料も振り込みになり、給料袋もそして今の私の家には神棚もない・・・でも時は流れても妻は私の母が言っていたように『お父さんのおかげで学校に行けるのよ』と給料日には言う。

父は2年前にガンで他界したが、高度成長期で日曜出勤していた自分の頃と比べ週休二日の私に『おまえはいい時代にうまれたネ』が口癖であった。しかし、最近の経済状況を見ているといい時代はもう戻ってこないのかとも思うが、私の娘の世代の頑張りで、また日本が発展することを願いたい。

娘は来春の社会人へのウォーミングアップに、今はアルバイトに精を出し『自分でお金を得る』苦労を肌で感じている。

バイト代も嬉しいだろうが、初任給の感激は格別かと、もう30年近く前になるが初任給をもらってきた時、封は切らず父に渡し『お疲れさん』と声をかけてもらい、神棚に供えてもらった思い出が。

来年の4月に娘が初任給をもらってきたら、父が言ってくれたように笑顔で『お疲れ様』と言うのが今から楽しみである。

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