【努力賞】
【テーマ:仕事とお金】
お金のためだけの仕事は人生を台無しにするかもしれない
旭川市  羅漢田 羅漢太 40歳

人はなぜ仕事をするのだろうか?

莫大な金を持っていても仕事をするだろうか?

名誉や権力ほしさのために仕事をするのだろうか?

金のために仕事をするのだろうか?

金にならない仕事だっていくらだってある。家事やボランティアなどがそうだ。金にならない仕事をする人はいったいなんのためにしているのだろう?

私は金のために仕事をしていた。

金のためにいやでたまらない仕事を続けていた。

いやなのは仕事の内容だけじゃない。人も職場環境も体質もすべてが嫌いだったのだろう。

仕事のすべてが嫌いだった私は当然、そんな仕事をしている自分も嫌った。

そしてある冬の日、徒歩で通勤途中、橋の上から突如飛び降りたくなった。

こんな不本意な生き方をしている自分が許せなかったのだ。

金のためだけにしている仕事を続けると人生が破綻する。

結論から先に言えば、金のためだけに無理やりする仕事ならしない方がいい。

人は我慢のバケツを持っている。日々の生活につながっている蛇口から、我慢した分だけの我慢の水が流れてくる。毎日毎日我慢の垂れ流し状態が続くと当然、我慢のバケツは満杯になりあふれだす。人によってそのバケツの許容量は違うだろうが、大きなバケツを持っている人でもいつかはあふれだす。あふれると心身を病んだり、ひどい場合は過労死や自殺に至る。

繰り返すようだが過剰な我慢は人生を破綻させる。取り返しのつかないくらいに破綻させる。

だが貧乏人は職業選択の選択肢が意外に狭い。金がないと生きていけないのも事実なので職業選択にゆとりがない。本人にどれだけ向いていなかろうが、雇ってくれて給与がまずまずならば無理をしてでも続けなくてはならない。扶養家族がいる場合などは、それこそ死んでもやめられない人が多いのだろう。そして過労死や自殺に発展するのだ。

過労死や自殺まっしぐらな仕事にどんな意味があるのだろう。せいぜいあとに残された家族が保険金を受け取って喜ぶくらいではないだろうか。過労死をする人や自殺に走る人はかなりの割合で家族から愛されていないように思える。過労死をする人は平気で自分を過労死させるだけあって自分のことなんかどうでもいい。自分を大事にできない人なのだ。自殺する人間が自分を愛しているはずはない。自分を大事にできなかったり憎んでいる人が他人から愛されるわけがない。せいぜい利用するだけ利用してやろうと他人から思われてしまうかわいそうな人たちなのだ。 では職業選択の余地がなく、破綻まっしぐらな仕事に従事せざるをえない貧乏人はどうすればいいのだろう。もう八方塞がりではないのか?

今の日本は自殺者が多い。それはこうした自分を愛せない破綻まっしぐらな人が少なからずいる証拠ではないのか。

私には昔から不思議だったことがある。

政治家はうつ病をはじめ、精神を病む人が極めて少ないということだ。

ここ数年、毎年かわる首相は、すごくやつれるかすごく悪い顔になるかどちらかである。だが、すごくやつれても精神を病むことは決してない。首相をやめてしばらくするとまた元通り元気になる。

政治家はものすごい精神力の持ち主なのだろうか?

それだけではあるまい。

政治家は自分に自信を持っている。選挙で選ばれたという自信かもしれない。支持してくれる人がまわりに沢山いるという自信かもしれない。支持しない人も沢山いるだろうが、支持してくれる人が確かにいる。

そして彼らはなにより自分で自分を支持している。自分を愛している。

だから国民にどれだけ嫌われようと精神を病むことはない。自分を憎むことはない。

そう、彼らに学ぶところがあるとしたらその点ではないだろうか。政治的手腕はとっても残念な人でも、その自分を信じ愛す力は見習う必要があろう。

お金のためにいやな仕事を続けている人はまず自分を信じ愛することが必要に思える。自分を信じ愛することができれば、人生を破綻させる生き方を反省し、金を稼ぐための人生から、人生のための金稼ぎという発想の転換ができるのかもしれない。

生き方を変えることで少しでも自分が誇りを持って遂行できる仕事に出会えるのかもしれない。

そうすると、破綻に向かった人生も少しは軌道修正できるかもしれない。

だが今までさんざん自分を憎んできた自己憎の人が、いきなり自分を大事にできるいい意味での自己愛の人になれるわけがない。

かなりの長期戦になることを覚悟しなくてはならないだろう。

言うは易く行うは難しである。

だが道は八方塞がりではないのである。

そう信じたい。

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