「穂満さん親元?」「はい、親元です」
この年になってこう返事するのにどこか違和感を感じる今日この頃。なぜなら今まで一度も結婚も一人暮らしもした事がないからです。最初からその気がなかったのかと言われると全く逆。大胆な行動派であるが故に25歳辺りから第二の人生を意識し始め、とにかく早く家を出たかった私は県外就職に重点を置き、幅広く活動をしていました。また結婚願望も強く、積極的に婚活にも取り組んでいたのですが、結果はあらぬ方向にばかり・・・。そのうち「こんなことなら大きな目標を抱かずシンプルな位が一番良いのかも。それにお嫁にも行けなければ仕事でも発展・成長する器ではない。私なんて万年親元人間の運命なのかも」と思うようになり、本当にやりたい事も「どうせ私には許されないんだから」と遠慮し、ごく普通の生き方しか望まないようになっていました。
昨年1月、バス旅行に出掛けた時のこと。担当だった男性添乗員との出会いが、私に大きな影響を与えました。見かけは40歳代と思える程の若々しさ。後ほど話を伺うと大手の銀行を定年迄勤め上げられ、退職後は趣味の登山や旅行を生かした仕事をしたいという一念を持ち続けた結果(アルバイトではありますが)この仕事に出会ったのだそうです。若い時から長年いらっしゃる専属の添乗員と比較すると多少物足りない所もあるかも知れませんが、それでもチャレンジ精神旺盛で何しろ「20代の若さと30代のバイタリティー、50代の人情味の厚さを兼ね備え、60代の手習いで挑戦しました」「目標と努力に定年はない」というモットーにはどちらが若者かと思うほど圧倒されました。消極的になりかけていた私でしたが、人と会うっていいものだとこの時つくづく実感しました。
周囲、特に良いことを勝ち取り成功する人達を見るとどうも自分だけが取り残されたように思うことがあります。人は人、自分は自分と常日頃守り続けていたはずの私も「これではいけない。早く追いついて並ばないと」と焦り、本来の目標をいつの間にか自分で捨てる結果になってしまった事も何度もあったように思います。その上親元暮らしも「いい年をしたお嬢様」と何かにつけては揶揄されていたものですから、ますます自信をなくしていました。けれど今はその方との出会いを期に少しずつではあるが、眠っていたものを呼び起こして確実に前進しつつあります。若輩が申すのも気がひけますが、その方はたとえ年齢制限は越えていたにしろ、きっとその前向きでチャレンジ精神旺盛なところを買われたのではないでしょうか。自身、親元暮らしは正直恥ずかしく思えますが、今はまだ成長・成功する時期ではない事を認め、貯えの時期だと開き直っても決して悪い事ではないと思います。だからこそ仕事や趣味、そして学習にも集中できるのだと自信を持ち、感謝していきたい。一生懸命やらなかったら本当にやりたいことなんて見つからないんじゃないかな!?本当にやり遂げたいのであればためらわず左右されず果敢に挑戦するのだという事をその添乗員から教わったように思います。
10年後の私へ。その時は完全に親元から独立し、自活している事でしょう。現在の介護職を続ける傍ら国内、ゆくゆくは世界中を講演し、駆け回れるような自分になりたい。そして仕事とは、やりたい事に集中し、必要とされる人になること。それが私の生き甲斐であり、また親孝行にも繋がるものと信じているから。その為にも沢山の資格や教養を身に付けるのは勿論、まずは身近な人達から信頼を得られる事に着眼点を置いています。このような私ですが昨年末、なんとケアマネージャー試験に合格という朗報を手にすることができました。不合格続きの4度目の挑戦でしたが、諦めなかったのが良かったのだと確信しています。長いトンネルから脱出し、やっと初めの一歩を踏みだしたばかり。さぁ、どんな未来が私を待ち受けているのか・・・!?