「こちらがぎりぎり譲歩した約束の4時半に間に合わなかったのだから、仕方ないね。本日分は待ちきれず、〆てしまった。今度ばかりは、あきらめてもらうしかない」
「申し訳ありません。交通渋滞、その……。いえ、すべて私の責任です。私が遅れてしまったばかりに。支店長さん、うちの社員六百人の生活がかかってるんです。どうか今回だけは勘弁してください、お願いです。…………うちの社員とその家族を苦境に追い込んだら、あんたのせいだぜ、支店長さん!」
東京麹町にあった中堅商事会社の新米経理部員の私は、部長の指示通り、約束の時刻よりさらに20分遅れて赤坂の取引銀行へ入金に行ったのだった。裏口から入れてもらい、そっと窓口に小切手と手形を持ち込んだら、いきなり四角い顔をこわばらせた熟年の支店長が奥から出てきた。こちらは、本日付けで決済されては大変なことになる逼迫した理由を抱えているから、入金は本日付け、しかも処理は明日の日付にしてもらえという絶対命令を上司から受けて、敵陣に乗り込んだのだ。
放漫経営のツケで、この半年間、我が社は同様な事態を何度も繰り返してきた常習犯で、今回ばかりは赦さないという固い意思が、支店長の顔の表情と仕草にありありと現れていた。この交渉に失敗すれば、会社は不渡りを起こし、倒産に追い込まれる。そうすれば、社員とその家族たちは、直ちに路頭に彷徨うことになる。信じて託した白紙手形を会社に利用された社員の親族はどうなるのか。無能な私のために、彼らの運命がねじ曲がる――。
私は、焦った。鞄を横に置き、冷たい床に土下座して、彼の足もとで「支店長さん、支店長さん」と、念仏のように連呼した。そのうち、肩が震え出してきて、声がしゃくり上がると、床にポタリと数滴の涙が落ちた。
社会経験の乏しい24歳の青年が、重圧に耐えかねて泣き出したという訳ではなかった。こんなクサい演技を、会社のためとはいえ、進んでする存在に成り果ててしまったかと思うと、そのことで自分が哀れになり、情けなくて泣けてきたのだった。
修羅場に臨んだ若者の見え透いた三文芝居。支店長は、さすがに耐えきれなかったらしく「今回きりですよ」と、放免してくれた。ほっとした私に、息子を諭すように彼は言った。
「君なら、他のどんな職場でも、充分やっていける。自信を持ちなさい。ただ、正直が一番だ。早いうちに、この会社を辞めなさい」
私は迷わなかった。支店長の言葉を字義通り受け取り、それに従った。彼の言葉は、何かの導きではないかと、私には思えたのだ。
結局、2つの職場を転々とした後、幸い、かねてより念願だった、英語を生かせる職業に就く事が出来た。誠実な社長と同僚に迎えられ、嬉しかった。小さな通訳派遣会社で、仕事は開拓営業だった。経験もなく不安だったが、知恵を働かせさせすれば、自分を信じ、正直に突き進むことでやれると自分に言い聞かせ、仕事に邁進した。あの修羅場を思えば、実際、恐いものなど何もなかった。結局、3年間かかったが、自分の担当部門において、無名の通訳会社を、業界ナンバーワン企業の同部門に追いつき、凌駕するに至らせた。この実績が自分の力となった。このことが、後に移住した豪州で、政府の助力を得て事業投資コンサルタント業を営む力の源泉となった。
あの時の銀行支店長のアドバイス「自信を持て、そして正直に」という言葉が、心の深いところに刻まれて、今でもそれが私のモラルを支えている。もし、あの会社と共に没落していたなら、私はひょっとして、人を騙すプロの嘘つきに成り果てていたかもしれない。私を救ってくれた人の、時を得た適切な助言だった。そして、それが同時に、私を新しい可能性開拓へと導くきっかけとなった。