高校3年の秋、父の経営する会社が不渡りをくらった。受け取り手形の2千万円がパーである。父も母も会社の資金繰りに奔走し、私の進学は絶望的になった。
今でも思い出す。進路を心配してくださった担任の高橋先生に呼び出された職員室の暗い部屋。固い机といす。向かい合った先生の心配そうな表情。親身に色んなアドバイスをくださったが、黙ったまま、私はただ重い心と体を引きずって家に帰った。父も母も家にいない、資金繰りに駆けずりまわっていたのだ。そんな両親の苦労も当時の私には分からず、自分の突然降ってわいた出来事で頭はいっぱいだった。職員室を出るとき、「一度読んでみなさい」と先生に手渡された本の事をふと思い出した。ほかにする事も、考える事も出来なかった私はページを繰ってみた。主人公「パレアナ」が本の中で、様々な襲い来る苦労に「少しでも良かった」部分を見つけ出し、人生を幸せに変えていくという話だった。
次の日、私は先生の所へ行った。本のお礼も言いたかった。
「先生、私進学をあきらめきれません。自分で働いて学校に行きます」
「夜間に行くのか」
「いえ、近くのお寿司屋さんで夜のアルバイトを募集していました。夜働きます」
夜のバイトという事で心配した母が、面接について来た。近所の寿司屋でクリームパフェなんかも置いてある庶民的な店だ。小太りで人の良さそうな店主の親切な対応に安心してバイトが始まった。その後入試に受かり、学生生活も遅れて始まった。
大学では出来るだけバイトに支障のない時間帯の教科を選んだ。学業とバイトの重点度において主客転倒だとは思ったが、お金がなければ学校には通えなかったのだ。
その日の選択している学科が終わると、帰りに友達はみんなで買い物や遊びに行く。それをしり目に私はバイト先へと駆け足で帰った。毎日、もちろん日祝は終日勤務だ。
寿司屋でのバイトは、私にとって「新しい世界」だった。家でも、学校でも、友達との間でも、今までの私は自由でわがままであった。しかし、寿司屋では百八十度立ち位置が違う。年齢も見た目も異なるすべての人が「お客様」で、私はその人達にいかに親身にお答えするか、ということなのだ。店の掃除・電話の受け答え・お茶の入れ方・笑顔の作り方・裏方の手伝い・そして気配り・言葉づかい。わたしにとっては精一杯の受け答えも、客が帰った後の裏場で、「お前はどこのお嬢様や!何様のつもりや」という怒号に涙した。
一生懸命にやっているのに・・・という気持ち自体が「甘え」以外の何物でもないという事が、あれ以来40年近く経ち、会社を経営し、人を雇う側に立った今、つくづく分かる。
徹底的に叱られ、教えられたという事は、今まで何もしていなかった上に知らなかったという事のつけである。学校では学べない事を、仕事を通して教えられた。それもお給料を貰って。茶封筒に入った最初の給料は、手渡された時胸がいっぱいで「ありがとうございます」の言葉も出てこなかった。ただ、涙ぐんでぺこりと頭を下げただけ。
翌日の早朝、仏壇に供えてあった私の給料袋を見て、仕事に出かける父が言った。
「初給与やな。お金は尊いぞ。お金だけの為に働くのではないが、大切なものを守るためにはお金も必要や。お金が、お前のつたない労働に見合ったものかどうか、それを真摯に考えろ。楽した金は身につかんが、苦労した金は実を結ぶ。きっと結ぶからな」
以前だと分からなかった父の言葉が素直に心に入って来た。お金の大切さと、その重みが詰まった言葉の意味。それは働いた自分が一番よくわかった瞬間だった。