日本勤労青少年団体協議会 名誉会長賞
【テーマ:仕事から学んだこと】
仕事から学んだこと
長野県 佐久市  若菜 弘志 60歳

梅雨の晴れ間を見計らって、要領よく作業をこなしていく。刈り取りし、乾燥させるため稲架[はざ]掛けし、そして適度に乾いたら脱穀する。麦の秋は雨がちの空に重なり、それゆえタイミングを捉えそこなうと、品質の低下と収量の減少という大変な結果となる。

土日百姓のように、自分の都合で作業するわけには行かず、あくまでお天道様のご機嫌を窺いながら、迅速かつ適正に行わなければ、いいものは取れない。自家用の小麦栽培が、当地において消滅した理由の一つがそこにある。蒸し暑い梅雨の時期にわざわざ苦労して麦を刈る意味が見出せなくなっての結果だ。安価な輸入小麦がいくらでも手に入るのだから、買ったほうがどれほど安上がりなことか。かくして、この辺りで小麦を栽培する農家はいなくなった。

26年前に妻の実家で帰農して以来、兼業農家として営農しながら、換金作物としての米作りはもちろんのこと、私は自家用にずっと小麦を作り続けてきた。ここ数年は新しいパン小麦を作り、自分で粉を挽き、そしてパンを焼いている。今や我が家の食卓では手作りパンは欠かせない食品になった。

栽培し、製粉し、そして焼き上げるという手間をかけて食べるパンの味は、それはもう格別なものだ。それぞれの工程で為される仕事が、最終的に食べることにつながっていて、そして結局は生きることに結び付いていることが、日々具体的に感じられる。

週に3度のパン焼きは日常のことで、2週間に一度は挽く製粉作業も当然の仕事になっている。

なぜ安価な小麦粉を買わずに、こんなふうに苦労してまで作るかと言えば、種播きから始まり、自ら食べて消費する最後までの、すべてを担うことで得られる達成感という、おそらくは幸福というものにつながる絶対的な境地を体験したいためだ。

分業化された全体の仕事の一部を担う勤め人の暮らしとは違い、この百姓の暮らしでは、全仕事を自らが責任を負い、全部を引き受けながらの営みである。失敗も成功もすべて自分で担わねばならないだけに、あの達成感という特別な想いを体験できることの喜びは、一度知ってしまうと、間違いなく病み付きになる。

経済の原理に振り回され消耗するこの世知辛い現代にあって、百姓の仕事と暮らしには、その原理とはいささか異なる別の原理もあって、それを追求することで、得がたい幸福に到る道を発見できる可能性が確かにあると言える。

もちろんその道に到達するためには、多くの茨の道も通らなければならないだろう。だがしかし、四季折々の広大無限の自然に対峙しながら、野良でものを作り続けるこの百姓という仕事がもたらす幸福の境地を、この30年近くに渡って、私は間違いなく体験し、実感してきた。

米も麦も、そして蕎麦やその他多くの穀物や野菜を作るこの暮らしがもたらす充足を、私はどれほど感謝しながら日々味わっていることか。

だからこそ、還暦を過ぎてもなお、この暮らしで新しい試みを挑もうというチャレンジ精神を維持できているのだと思っている。

この五月にはめでたくニホンミツバチを一群捕獲することが出来た。彼らの蜜源花を、私は蕎麦を栽培することで準備できることも楽しい試みだ。もちろんその結果、糖度80度にもなる極上の自家蜂蜜を味わえるという幸福が待っている。

仕事をすることと幸福になることが奇跡のように結び付いている。これが百姓としての私の暮らしだ。

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